1997年 11月16日(日)
07:00 起床
07:30 朝食
09:30 HOTEL出発
10:00 球場出発
14:20 ビジター球場到着
16:30 ゲーム開始
7回1イニング登板
20:30 ゲーム終了
21:30 ビジター球場出発
01:10 HOTEL到着
01:30 インナートレーニング
ダンベル2kgで外・内旋各25×2セット
チューブで外旋25×2セット
02:00 就寝
今日は登板の日だ。気合を入れて行きたいところだが、今日の相手は対戦するなかで一番遠く、バスで4時間かかる場所にあるサンフランシスコだ。投げる前に、バス移動と戦わなければいけない。ただでさえ緊張するのに、4時間の移動はさらに色々考えてしまう。
なにはともあれゲームは始まった。最初、味方チームが負けていたので少し気が楽だったが、逆転してリードしている場面で出番となり、やはり緊張してしまった。
ルーキーの頃のように、緊張しながら、色々考えながらマウンドに上がった。得点は、13対7でリードしているので、逆転されることは無いだろうと考えながら、相手打者に向かって行った。キャッチャーとのサインも決まり、いよいよ第1球を投げた時は、長い道のりをやっと超えてきたので、感慨深かった。
結局4人の打者と対戦して、三振1個、ヒット1本、四球0、球数8球というまずまずの内容だった。ストレートは85マイルと初めての登板の割りには走った。それ以上に良かったのは、フォークボールだった。フォークボールが良くなければ、今後も勝負にならないので、フォークボールの落ちは心強かった。
試合が終わって、一緒に来たうちのスタッフ、それからCX、関西TV、報知新聞 ほか、皆が喜んでくれてホッとした。なかでもプロ野球ニュースは、番組の中でコーナーとしてやっているので、自分の中でも結構プレシャーがかかっていたため、スタッフ以上に自分も嬉しかった。
帰りの移動は行きに比べて、随分と楽だった。ビールを飲みながら今年1年を振りかえっていた。春先から何と無く考えて来た事だったけれど、随分長いような短い1年のように思えた。何とも無謀なチャレンジのようにも思うが、遂に始まってしまった感じで、本当に後戻りはできないと実感していた。でも、ドミニカで2ヶ月間やればまた新しい光みたいなものが、見えてきそうな気がする。まだ見えてこないがそれに向かって前進あるのみだ。
11月17日(月)
投げた翌日を大切にしていきたいので、体が張っていてもトレーニングは必ず続けていこうと考える。それによって体をパワーアップしていきたい。
昼から、サント・ドミンゴに出かけた。すごい人ごみで、慌ただしかった。品物はたくさんあったけど、なかなか欲しい物はなく、文化の差を感じた。
今日は、サムライという日本食のレストランへ食べに行った。こちらに来て1週間が経ち、初めて落ち着いて食事をした。格別、日本食に飢えてたわけではないが、それなりにおいしかった。
11月18日(火)
今日は、GIANTSのガルベスに会った。元気そうにランニングをやっていた。日本に来たことのある選手にもたくさん会ったが、みんな少しの日本語で、話しかけてきてくれ、何だか親近感が湧いて良かった。
5回から、ブルペンに行ったが、あまり肩の調子が良くないので投げたくなかった。しかし、こういう時に限って、出番は回って来るものだ。7回から投げるといわれたが、味方の攻撃で点数が入り、違うピッチャーが行った。その後、そのピッチャーが打たれ、9回から行く事になった。調子が悪いうえに、1回肩を休めていたので最悪の状態でマウンドに上がることになった。でも、調子が悪いからといって、打たれるわけには行かない。必ず次に繋がる投球をしないと、次のチャンスは、また敗戦処理になってしまう。あいかわらず、キャッチャーは、ストレートを要求してくるが、ほとんど首を振って変化球を投げた。カーブとフォークの切れは、まずまずで何とかまた、4人で切り抜けた。
変化球で抑えているだけに、ストレートが87〜88マイルでてくれれば、最終目標も夢ではなくなると感じた。まあ、2試合投げて落ち着いていけるだろう。
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